《コラム》33 「在来種」

投稿日:2017.12.28

 粟餅、ぜんざい、落花生豆腐、くりの渋皮揚げ、サツマイモでつくったニッキ餅、キウイ、自然薯を繋ぎにした十割そば、この村(目坂)で採れた材のみでつくった料理を食す会を催した。栽培と調理はもちろん目坂の住人である。この会のきっかけは、私の知人で但馬の様々な文化を研究している女性に、わが家では年末に毎年粟餅をついて年越しをする事を話したことである。その粟は地元で栽培していることに興味をもち、その方の知人で「ひょうごの在来種保存会」の方が話しを聞きたいということで、西宮からわざわざ目坂に来られたのである。その時に粟以外にも様々な食材があることを紹介されて実際に食べてみたいということから村の人達につくってもらって食べることになったのである。

         

 調理をしてくださるのは目坂のベテランの住人で、材料も自分の畑で収穫したものである。栽培は販売を目的にしたものではなく、自分の親がつくっていた物をそのまま受け継いで、自分達が食すためのもので何も特別なものではない。また、貴重な食材を守ろうとか、珍しいものを残そうとか、そんな気取った気持ちは毛頭ない。ただ、普通に栽培して自分達が食しているだけのことである。毎年収穫して、種をとり、又来年も種を播く。連綿とつづいてきた農家の暮らしである。この会の為に、遥々堺や神戸からも来られた方もあり、地元の方達との交流で大いに盛り上がった。

 ところで、現代の農業では、同じ規格のものを大量に作ることが農家に求められています。そして、その為には「F1」の種を使わなければならない。「F1」の種は雄しべを持たない、種ができない「雄性不稔」であり一代限りだそうです。タネは採るものでなく買うものだという時代になってしまっている。タネの採り方を知らない農家が増えてきているのです。

 先代から受け継いできた種を守り、季節の巡りと共に種を播き育て収穫する。そんな農家の当たり前の暮らしが忘れ去ろうとしている。農村の普通の暮らしが貴重になってきているのかもしれない。本物の田舎の暮らしを体感している自分はとても幸せなんだと感じている。今年も年末には粟の入った杵つき餅をつくろう。

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