社長のおもい
震災と古民家再生との出会い
私が中学1年生のころ、阪神淡路大震災が発生し、兵庫県では数多くの建物が倒壊し、町が焼け野原になっている状況をテレビの画面越しに見ながら、とても同じ兵庫県で起きているものとは思えませんでした。 暮らしていた豊岡市でも、震度5を記録し、早朝でしたが、かなり揺れた事を記憶しています。当時は、将来何をするという考えはなく、幼稚園から始めていた剣道にはまり、部活ももちろん剣道部に入り、強くなる事しか考えていませんでした。そのため、勉強もろくにせず、剣道の練習ばかりしていました。
そんな時に、父親が建築の仕事をしていた関係もあり、当時の震災で被災した明石にある古民家の酒蔵を再生したお話を聞く機会がありました。 確か200年以上は経っていた建物で、周りは倒壊している建物が多い中、外観は補修しなければいけない状況でしたが、躯体が奇跡的にくるっておらず、この建物を担当された設計事務所が見事に設計されて仕上がったのを見て、古くてもしっかり直せば新築以上の仕上りにもなるし、ましてや貴重な木材と木組みを表して再生できるという事に、こんな素晴らしい仕事があるんだなと、子供ながらに思いました。

海外経験を経て、建築への道を決意
その後、中学3年生で県大会に行く夢も叶わず、燃え尽きていた夏、今後の進路をどうするかなと考えていた時に、夏休みに二週間だけ、ニュージーランドに行く機会をもらい、行った事なかったのですが、一人で英語もしゃべれないのに、行きました。ホームステイしながら、午前中は英語のレッスン、南半球で冬だったので午後は山でスキーできるというスケジュールでした。 ここには、当時日本からも学生の方々もきていて、中学生は自分と、もう一人だけ。あとは、大学生や一般の方々がきていました。そこでいろんな方の話を伺う中で、自分が知らない世界があり、勉強して大学に入ったら、こんなにも視野が広がるのかとこの二週間が、今後の人生に影響を与えたと言っても過言ではありません。
帰国してから、自分はあの震災の時に再生された建物のように、建築に関わる仕事をしようと心に決め、また二週間のニュージーランドでの経験から、地元を離れて、より専門的な知識を身に付けたいと、高専に行くと決め、それまで一切勉強をしてこなかった自分には、無謀な目標でした。しかも3年の夏休みの終わりというタイミング。スイッチが入ったら、分かりやすい自分。寝てる以外の移動中や学校の休み時間など全ての時間を受験勉強に費やし、念願かなって合格し、入学する事ができました。
県外という事もあり、寮での生活が始まりました。同じ中学校からきている同級生は誰もいなかったため、全員初めて会う人ばかりでした。 夢に描いていた木造を勉強できると思って入ったのですが、現実はそうではありませんでした。木造を勉強できるわけではなく、授業も一方的に話を聞くだけでしかも同級生でもそういう人はほとんどいなかったのが現実でした。 あの時の絶望感は、なんとも言えないものがありました。もちろん剣道部に入りましたが、同級生でばりばりやる人もいなかったため、どうしようか、頭の中が真っ白になっていました
ドイツで学んだ街と建築
そんな時に、学校の広報誌に、当時交換留学で、一年間デンマークに行っていた方の記事がありました。 そういう制度があるのを知らなったので、もし行けば休学扱いになるが、それでも行ってみたいなと思い、親を説得し、試験を受ける事にしました。受ける財団では、行きたい国の希望を第四希望まで出せる中で、一番募集人数が多いのは、アメリカでした。 しかし、自分はあくまで建築を見たいという希望があったため、行くならヨーロッパと決めていました。その中で、一番募集人数が多かったのがドイツでした。それでも、30人定員だったため、無理かと思いましたが無事に合格したため、行ける事になりました。高校2年生の夏休みから学校を休学し、一年間ドイツへ行きました。
当時は数字しかドイツ語話せなかったのに、無謀な事をやったなと思います。ホームステイしながら地元の高校に通う生活を一年間経験致しました。その期間内に、同じ財団で海外から来ている同世代の方々とも交流する機会もあり、学校の授業もみんな手を挙げてしっかり意見を言ったりと、何故こんなに違うのかとショックを受けました。 また当然の事ながら、街並みはどこも素晴らしく、電柱地中化されていて、石畳みや古い建物を改修して店舗やアパートになっていたりと、小さな街に行っても統一されている事に、子供ながらに感動していました。 ただ、良い事ばかりではなく、辛い経験のほうが多かったです。離れて外から日本を見た時に、初めて見る景色も感じました。将来ヨーロッパで働いて生活するのも良いかなとも考えましたが、自分は日本に帰って、日本で建築の仕事をしようと思いました。将来的には、仕事で行き来できればいいなとその時はそんな事も考えていました。 当時はスマホもなく、インターネットも普及していなかったため、やりとりは手紙が主流。孤独に耐える生活でした。

造園で気づいた空間づくり
帰国してから、高校2年生の夏休み明けから再スタートでした。 これがまた、入学した時以上にギャップが酷く、当時の学校のやり方に我慢できず、高専は5年でしたが、3年を終えた段階で、学校を辞めました。 別に大手のゼネコンに入りたいわけでもなく、かと言って建築ならなんでも良いわけでもなかったため、今後どうするか見つめ直すため、また海外に行こうと、ワーホリでオーストラリアに行きました。ただ旅費を稼ぐため、紹介してもらった造園のバイトで働いて、渡航費を貯める事にしました。それまで建築をしたいとずっと思っていましたが、庭なんて考えた事もありませんでした。
当時働いていた事業所では、個人宅の庭園工事を手掛けられており、右も左も分からない自分は、トラックで荷物運んだり、剪定のゴミを片付けたり、石積みのモルタルを練ったり、さまざまな仕事を現場で経験し、庭ができていくのを見て、これだと思いました。 オーストラリアでは、農場に住み込みでバイトしながらあちこち旅をしていましたが、出国前に造園のおもしろさを経験していたため、建築にも近い庭でやっていこうとまた帰国してから造園に関わる仕事をし、いつかは独立したいと考えていました。 他府県でも造園の仕事をしていましたが、そんな時に仕事がない期間が続き、やる気があるのに、やりたい仕事に就けないという、なんとも言えない日々は、今でも忘れる事ができません。
地元で始まった再生の仕事
そんな時、地元で先代が工務店を創業して二年目でした。 帰ってきて一緒にやるか?と声を掛けてもらい、地元に帰る事に決めました。当時22歳でした。 やりたい建築の考え方は全く同じだったため、創業時から古民家再生を手掛け、当時はリノベーションというような言葉すらありませんでした。 入社してから現場監理に携わり、造園で現場作業をしていた経験も活かし、職人さんとボロボロの建物を、どう直していくのかを考えながら再生していく事に、やっと中学生の時に描いていた仕事に関われると、毎日遅くまで仕事していました。
入社して3年目くらいから、小さい現場から任せてもらうようになり、自分で全て着工から完成まで監理し、あの達成感は何とも言えない充実した感覚でした。 ただ出来るようになってくると、一つなんとかならないのかと思う事がありました。それは、いくら建物をよく仕上げても、庭が何もない事でした。着工時は、工事契約を結んでおり、全て工事内容が決まっています。事前に話をした内容以外の事は含まれておらず、当時は庭の工事はやっていませんでした。半年かけてコツコツ仕上げてきた建物に、なんとかならないのかと、当時はお金いらないんで、させてくださいと、お願いした事もありました。
木造再生を支える設計力
そういう事もあり、やはり設計の段階で話をしないと、予算も付けれないし、何をすべきかも分からないなと、設計の勉強もやろうと決めました。 木造の設計は、今でこそ自動的なソフトがあるので、それに任せれば誰でもできてしまいますが、別にそういう事がしたくて建築の仕事をやっているわけでもなく、まして再生工事ともなると、現状を把握する事からしないといけないため、しっかり勉強しないとまずいなと考え、吉田桂二の木造建築学校に通う事にしました。東京の設計事務所で、隔月の土曜日にあり、年6回ありました。亡くなられるまでの5年間、仕事しながら通い続け、たくさん勉強させていただきました。
この5年間がなければ、今の自分もなかったと思います。 設計が出来るようになってからは、庭の計画も住宅の設計と同時に行い、施工も建築と同時に工事して仕上げる事を当たり前に取り組めるようになったのも、この後からです。 住宅の工事では、再生する工事のほうが、難しいです。設計するには、まず現状を知るところから始めなくてはならないです。基礎もなければ、構造も見えない部分が多々あり、想像して考えなければいけない部分が多々あります。その構造を活かしつつ、包み隠すことなく、仕上げとして現して仕上げるには、現場も分かっていないと提案もできません。 中学生の時に、凄いなと感動した仕事が今では全てを理解して設計から施工まで自社でできる事に、とても楽しく感じながら仕事しています。

家づくりの理念
何度も申し上げますが、私は木造がやりたくて、この世界に入りました。 ヨーロッパのように、街並みが資産となるような仕事をして、景観を維持していきたいと、ずっと考えながら建築の仕事をしています。再生工事をする場合もそうですが、新築の場合でも、景観に配慮して設計する事を心掛けています。 何故なら、ここは日本です。誰が見ても、日本の木の家だと分かる家であるべきだと思います。流行や目先の金額だけを見て、無国籍な人工的な素材で仕上げた建物は、地域の事を考えて建築しているとは思えません。 また日本には四季があり、季節ごとに景色も変わり、旬の食材もあります。それらを楽しむ暮らしをしないと、実にもったいないです。奇抜なものを建築するのではなく、昔ながらの素材と様式で、現代の暮らしに合った木の家を建築するべきだと思います。 このような考え方を基本理念とし、地域工務店の二代目として経営しております。環境にも配慮し、自然素材と国産材を使用した本物の木の家をご提案致します。 小さなリフォームから再生の工事まで、里やま工房を宜しくお願い致します。







